お寺について

お地蔵さまのお話

「お地蔵さま」ほど私たちに親しまれた、また、私たちを救ってきた仏さまは、他におられますでしょうか?

お釈迦さまが覚りの世界にお帰りになられて、2,000年以上。次の仏である弥勒さまがこの世に出現されるのは、5,670,000,000年 (56億7千万年) も先のこと。その間は、肉体を持った仏は私たちの前に来てくれません。

明恵上人と言う聖者はおっしゃいました。
「我々は母のない子牛のようなものだ。釈迦如来に会えなかったことは恨み中の恨みだ」

だからこそ弘法大師さまは、身命を賭け万里の波濤を越えて、密教を我が国へ伝え、宇宙に偏在する仏とつながる方法を求めたわけであります。

このような世界にたった一人とどまってって、今日も弱者に手を差し伸べるために旅を続ける尊い御仏がいます。(ちなみに観音さまは、他方世界:この世とは違う次元から来る援軍です

坊主頭に杖をついた旅姿 誰でしょう?
そうです。「お地蔵さま」です。

「私たち仏が居ない間、この世界の全ての命はあなたに託そう」
という、お釈迦さまの遺言を受け、覚りを開く実力がありながら、迷いの世界に踏みとどまって、袈裟一枚のお姿で、神々世界から地獄の底まで「救われない存在」のために昼も夜も関係なく駆けめぐる尊い仏さまなのです。
「地獄にほとけ」とは、なにを隠そうお地蔵さまのことなのです。

救われない存在とは

自分の意思では、救いを求められない弱者です。自分で「助けて」といえる状態は、まだまだ恵まれているんですね。

「1つには地獄に堕ちた皆さん」です。なぜかって?
自分が地獄に居ることさえ気づけないのが、地獄の一番の苦しみです。お地蔵さまは、苦しみを肩代わりする「代受苦 (だいじゅく)」を一番の願いとされています。

2つには「弱い立場の皆さん」です。草木も動物もお魚も、みんな同じ命です。人間も変わりません。ところが言葉を話せません。今日もたくさんの命が無言のうちに、強い生き物に食べられ、人間に殺されています。

同じ命なのに、生きたまましめられる魚も、切り倒される大樹も、踏み潰される虫たちも、断末魔の叫びをあげているでしょう。しかしその声は私たちの耳には入りません。
けれどもお地蔵さまは、しっかり聞いています。お地蔵さまはそんなみんなのためにどこにでも行きます。

3つには、「無残に殺されてしまった皆さん」です。中絶されてしまった水子は悲惨です。子供は親しか助けを求められません。頼るべき親に殺される。そんな苦痛が他にありましょうか。もう誰を頼っていいのかわかりません。
また不慮の事故や戦争によって命を失った人の大部分は、自分が死んだと言う自覚が無いようです。ただ、死んだときの絶望と苦痛の記憶に捕らわれたまま、どうしていいかわかりません。お地蔵さまはそんな皆さんのために寄り添ってくれます。

お地蔵さまは、どうやったら私たちを助けてくれるのでしょうか?
常識的に考えても、正しい行いや修行、お供えが必要なのでしょうか?なんとお地蔵さまに限っては、それらが無くても良いのです。

「お地蔵さまの姿が目に入ったら、少し礼をしただけで、お地蔵さまはその人を救ってくださる」と『地蔵菩薩本願経』に書かれています。私たちの先祖は、日本中いたるところの辻辻に、お地蔵さんを石に刻んでくれました。仏像としてはダントツ一位の多さです。みんなが救われる機会を造るために、努力した先人達の思いをかんがみるに、喜びと感謝の念で胸がいっぱいになります。

そんなわけで、お地蔵さまの姿を見てほんの少し頭を下げただけのことでも甚大なる恩恵が与えられるわけです。いわんや、そのお姿を造って、たくさんの人々の目に触れ、心に触れる機会を創るということは、どれくらい大きな功徳を作ることになるか、想像も及ばないことではありませんか?自分自身のため、他のため。すでにこの世を去った人のため。迷惑をかけたり命を奪ったりしてしまった存在のため。

『地蔵菩薩本願経』によると、他のために撒いた功徳の種も、7割は撒いた人、すなわち自分に還って来ます。子孫のために、美田を残さなくても、すめての命のために福田を残すことはできます。今、またとない機会が皆さまの前に現れました。

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